編集長から次の食材は何がいいかと聞かれた時、私はすぐに「わさび」と答えた。
わさびは、料理の世界とりわけ和食では昔から重要な薬味である。毒消しとして、また殺菌作用に大変効果のある食材で、特に根わさびはあとをひかないツンとくる辛みが特徴だが、いわゆる子供にはなかなか理解しがたい大人の味といってもいいだろう。
その大人の味を求めて、大分県日田市に車を走らせた。今回のナビゲーターは、私たちの店を支えてくれている食の達人、田中青果の田中さんと日田のJAの皆さんだ。
詳しい場所は秘密にしておくが、日田インターから車で一時間三十分、さらに車を降りて山道を三十分ほど歩くと、わさびの沢が突然私の目の前に広がった。
「スゲェー」おもわず声が出た。山の奥まで続く緑の絨毯。早春の光にきらめくわさびの葉、そして谷間を流れる美しい湧き水。
本当に九州にこんな場所があるんだ。私はただただ感嘆の言葉を繰り返しながら、このわさびの沢を見つめていた。
するとその沢の奥から一人の男性が降りてきた。生産者の森朝光(としみつ)さんだ。今年で八十一歳になるという森さんは、その年齢が信じられないくらいに若々しく、なかなかの男前だ。
生産者の森朝光さん
このわさびの沢は、森さんが二十五年という歳月をかけて作りあげ、自然のままで育てたとものだという。
きれいな水、七~八度に保たれた水温、そして一定の水量。この条件が揃わないと良いわさびは出来ないと、森さんは教えてくれた。
誘われて湧き水を飲んでみたが、そのおいしさに驚いた。
ちなみに、わさびはさめ肌で擦り少しだけ砂糖を加えると、辛さが増すとのこと。また、二年~二年半もののわさびが一番食べ頃だという。
森さんの話に聞き入る二人
森さんの話を聞きながら、私は自然と向き合ってきた人の顔は本当にかっこいいなと思った。
木々を見つめ、自然の恵みを大切にしながら生きる暮らし。そんな生き方から本物のわさびが生まれるんだと思った。
前回の魚といい、今回のわさびといい、食材を求める旅は私に物の大切さを教えてくれる。
おみやげにもらった、とれたてのわさびを見ながら、私もいつかわさびだけを肴にしてうまい酒を飲める、粋な大人になりたいと思った。
弟も書いているように、わさびは桜坂やイムリでは必要不可欠な食材だ。漢字で〈山葵〉と表するこの食材は、資料によると奈良・平安の時代にすでに使用していたというから、まさしく日本を代表する香辛料といってもいいだろう。
全草に特有の香気と辛みを持ち、とくに根茎をすりおろすと酵素の働きで辛みが生じる。葉や葉茎もおひたしや和えものとして使い、人によってはこちらの方が好きだという方もいるほどだ。
最近ではチューブ入りのものも幅をきかせているが、やはり自然のまま育てられたわさびには味、辛みともかなわない。
もちろん桜坂でもイムリでも自然のわさびを使っているが、今回お邪魔したわさび沢は本当にキレイだった。
阿蘇山系の伏流水が育てた自然の恵みは、ちょうど私たちが訪れた時は白い小さな花をつけ、まるで絵本の世界に出てくるような光景だった。
それに生産者の森さんからいただいた、わさびの味わい深い辛み。これこそ本物の味だと実感した。
取材後、「また来なさい、もう少ししたら、たらの芽や山独活が取れるから」といって下さった森さんの優しい笑顔が今も忘れられない。
森さん、本当にありがとうございました。
川畑裕次郎/「IMURI」オーナー。 川畑康太郎/桜坂「観山荘」主人。