長い間酒場をやっていると、いろんなエピソードに出くわす。
もっともバーテンダーはそれらの話を他言せず、自分の胸だけにしまっておくのがルールだから、今回編集部よりこのエッセイを書けといわれた時ひとつだけ条件を出させてもらった。それは全て匿名でお願いしたいということだ。ナナシノ・ゴンベエなどというふざけたペンネームの由来もそこにある。どうぞご了承下さい。
ということで「マティーニ」である。
いやはやマティーニほどウンチクや逸話の多いカクテルはない。
そもそもドライ・ジンとドライ・ベルモットを最初に結びつけたのは、ニューヨークのニッカーボッカー・ホテルのバーテンダー、マルティニ・ディ・アルア・ティッジャ氏である。一九一〇年のことだ。それから約一世紀近くマティーニについてはさまざまな議論がなされてきた。なかでも一番多いのは、ジンとベルモットの割合だろう。
ヘミングウェイの【河を渡って木立ちの中へ】に出てくる十五対一の超ドライマティーニ。故チャーチル首相の、ベルモットのボトルを眺めながらジンを飲むという究極のハードスタイルなど、ほぼ無色に近いこの黄金色の液体は多くの男たちの心をとらえて離さない。
ある日のことだ。
いつもは必ずひとりで飲みに来る常連のSさんが、若い男と一緒に私の店に入って来た。Sさんは某電気メーカーの部長で、イギリススタイルのスーツをこよなく愛する白髪の紳士。口数こそ多くないが、ぽつりぽつりと喋る会話の中にはいつもユーモアが滲み出てている、そんな人だ。
Sさんはその日、珍しく饒舌だった。
「マスター、こいつ俺の息子。どうしようもない三流大学だけど今日卒業してね」
言葉とは裏腹に彼が心底息子の卒業を喜んでいるのがわかる。
「でね、いつものアレをこいつにも」
私は隣にいる端正な顔立ちをした若者を見ながら、Sさん好みのドライ・マティーニを二杯作った。
Sさんはマティーニを受け取ると、いつもよりも早いスピードで一気に飲み干した。
「おやじ、そんな飲み方してると体壊すよ」
息子さんがグラスに軽く口をつけながらいった。
「バカヤロウ、マティーニはな、ちびちび飲むもんじゃないんだよ。お前も男ならそのくらいのこと覚えておけ」
嬉しそうな声でSさんが答えると、彼は父親よりもさらに早い速度で残ったマティーニを飲み干した。そして二杯、三杯と二人はまるで競うかのようにマティーニを飲み続けた。先に潰れたのはSさんの方だった。
彼は椅子の上で体を揺らしながら私にいった。
「マスター、これからこいつが来た時はいろいろと教えてやってくれ。バカだけどいい奴だから」
父親の体を支えながら店を出ていく息子は、振り向きざま私にペコリと頭を下げた。
その恥ずかしそうな笑顔は、二十年前に亡くなったSさんの奥さんにそっくりだった。