「坂」といえば、亡き母を思い出す。 戦時中、私たち家族は、疎開先鹿児島の山村に住んでいた。
産後の肥立ちが悪く、母は両耳が全く聞こえなくなっていた。八才の私は、自分の言葉を伝えるために、二人だけの手話をつくった。
例えば、「水」は握った両手をたたく変な手話であった。 働き者の母は、毎日炊事に使う焚き木を取りに山に向かった。 旧式の「かまど」に使うためだ。

山の入口に急勾配な坂があった。
坂の下には、小さな桶屋があり、その少し上に湧水が、勢いよく流れていた。幼い私は、自分の背丈より高い焚き木をしょった母を、坂の上まで迎えに行った。
桶屋のトントンと木をたたく音と、清水のはげしい水音を聞きながら、うす暗い坂道の上で何時間も待った。
木立ちがうっそうと生えるその場所は、恐くふるえて待った。 救いはトントンと清水のリズミカルな音だけであった。
”半ベソ”をかきながら、母の顔を見た時は、「わぁー!」と泣いてすがりつき、私も焚き木を背負った。
優しい母は、耳の聞こえないせいか、調子ぱなれの「愛染かつら」の歌と西郷どんの話をしてくれた。
母と並んで坂を下りた。いつのまにか夕暮れになっていた。 母の焚き木は、「かまど」の中で、勢いよくパチパチと音をたてて真赤に燃えた。
十月の小雨ふる昼下がり「桜坂」を歩いていて母との事を想い出した。
絵と文●高坂昇(洋画家)