川畑 「本日はお忙しい中、この対談のために駆けつけていただいて本当にありがとうございます」
万之丞 「いえいえ、こちらこそ記念すべき第1号のゲストに呼んでいただいて嬉しく思ってます。でも、それにしても趣人っていうのはなかなかいいタイトルですね」
川畑 「ありがとうございます。もともとはですね、私が遊び心で料理屋の趣人という名刺を作ったんです。それで今回、新聞を作ることになって、タイトルをどうしようかってことでスタッフのみんなといろいろ考えた挙句、これがいいだろうってことになって」

万之丞 「いやー、なかなかいきなタイトルですよ」
川畑 「そうですか。そもそもこの新聞を作ろうと思ったのは、いきな文化って日本にはあるじゃないですか、万之丞さんのやってらっしゃる狂言もそうですし、こういった料亭もそのひとつですよね。でも最近、そういったものがどんどん日本では失われている気がしましてね。もちろん時代も変わるわけですから、料亭も昔ながらのスタイルに甘んじていてはいけません。もっと垣根を低くしてたくさんの人に楽しんでもらいたいと思っています。でも、その根底に流れるものは守っていきたい。それで、『おしゃれな若者、 いきな中年』に読んでもらえるような、いきをテーマにした新聞を作りたいと思ったんですよ」
万之丞 「あー、なるほど」
川畑 「万之丞さんは古典芸能を受け継ぐ家にお生まれになって、私たちからみるとそれこそいきの集大成(笑)みたいなとこで育ってこられた気がするんですけど、万之丞さんにとっていきというのは、一言でいうとどんなものですか」
万之丞 「まぁ、洒落でいうと、いきには必ず帰りがあると(笑)。それからいきがるっていいますよね、例えば東京なんかだと、どじょう屋行って一杯やるなんて今なら いきの一つだと思うんだけど、あれだって昔はうなぎが食えない庶民がどじょうを食ってたわけですからね。でもうなぎを食わずにどじょうを食うのがいきなんだっていって。 つまり貧乏とかハングリー精神を逆手に取るたくましさとか強さっていうのにいきの原点があるような気がしますね」
川畑 「なるほどね。でもその江戸の庶民たちは自分たちの置かれた状況をそれなりに楽しんでるじゃないですか。遊びの精神っていうか。遊興っていうんですか、その遊びを楽しむ余裕っていうのがいきの文化を作り出したんじゃないのかな」
万之丞 「興、今、遊興とおっしゃいましたけど、興という字は興がるといって、一番狂言を言いあてている言葉なんですよ。狂言の狂は狂うという字を書きますよね。あれはトランスする、日常生活から違う空間にパッと離れるということなんですよ。それから興じるっていうのは何か物事を楽しんでエンジョイして、ちょっと逸脱してゆがんだりはみ出したりしましょう。で、遊の遊ぶってのは昔は魂を静めるっていうのを遊ぶって言ったんです。だから、遊びながら、魂を静めながらみんなで換骨奪胎して騒ぎましょうと。それが一番供養にもなるし、まあ今でいうセラピーですよね。それがいわゆるお座敷という場所だったんです」
川畑 「じゃあ、料亭でお酒を飲んだり食事をしたりするのは、魂を静めてるわけですね(笑)あっ、これはいいなぁ(笑)でもね、最近の若い人には料亭って敷居が高いでしょ。だから、その敷居を低くしてたくさんの人に料亭に来てもらいたいんですよ。こういう畳とか、障子、そして和紙とか、日本には素敵な文化があるじゃないですか。そういう文化をね、今の若い人にも是非伝えていきたいといつも思ってるんですよ」
万之丞 「いやー僕はそういう家に生まれてきちゃったもんですから、もうそれこそ体の中に入ってますけど、今の人には、例えばお母さんがニンジン嫌いな子にはチャーハンにして食べさすように伝えないとダメでしょうね。つまり、どう細かく切ってわからないように体の中に入れこんでいくかっていうことをしてあげないと。いわゆるレクチャーですね。それをしないで、『ほらいいだろう、畳は』『ほら、いいだろう、床の間は』って言っても、潜在的な能力にそれがもう無いんですから」
川畑 「ないかなぁ」
万之丞 「やっぱり先割れスプーンでご飯食べて、足組んで体育館で校長先生の話聞きながら、靴穿いてハンバーガーでコーラでしょ。この生活をずっとやってきたから基本的には無いんじゃないでしょうか」
川畑 「いやー、私はね、それこそ日本人っていうのは間違いなく日本人なんですから、例え時代が変わってもわかると思うんですよ。もちろん年齢もあると思うけど」
万之丞 「そうですね、確かにいきっていうのは生きてるとか、意気込んでるとか勢いがあるとか、この言葉の語感にいろんなものが含まれていると思うんですけど、その感覚は日本人ならどこか理解出来るということはあるかもしれませんね」
川畑 「私はそう信じてるんですけどね。やっぱりいきというのは、こういつも元気でスカッとしてて、そして人の心がわかる、世情っていうのかな、世情に通 じてる人って気が私はしてるんですよ。だから若い人にもぜひそんな人になってもらいたい、もちろん中年にもですが、そのためには積極的にもっといろんなことに挑戦してもらいたいと思いますね。こういった料亭で時にはお洒落してご飯を食べるのもそうですし、万之丞さんがやってらっしゃる狂言なんかも、それこそ映画を見に行くようにふらっとのぞくなんて、いきだと思いますよ。この間、舞台を拝見しましたけど、若い人も多かったじゃないですか。えーと何でしたっけ、あのお相撲の話?」
万之丞 「唐人相撲」
川畑 「そう、あれを見て本当に面白かったし。若い人もたくさんいてね。私あれを見てて、こういったものを見 る環境をもっとたくさん作っていかないといかんなってつくづく思いましたね」
万之丞 「今おっしゃって下さったことは、僕らにはすごく切実な難しい問題でね。狂言には、『お客は意識しても媚びてはいけない』という言葉があるんですよ。一遍お客に媚びるとね、お客はこんなもんだと思ってしまう。垣根は低くしないとお客は入ってこない、でも低すぎるとお客はナメてかかる。この辺のバランスが難しいんですね」
川畑 「それは私たちも一緒ですね。だから私も垣根は低くしたいけども、取り去ってはいないわけ。ここの桜坂観山荘もそうだけど、門構え、この雰囲気、そして仲居さんがピシッと着物着て接待をする、そういったスタイルは崩したくないわけですよ。う~ん、こうやってお話していくと料亭と狂言ってのは似てるのかもしれませんね」
万之丞 「似てる、似てる(笑)」
川畑 「まぁ、ある程度のルールですね、そのルールを理解した上で少し遊ぶ、逸脱する余裕、そこからいきが生まれるんでしょうね」
万之丞 「そうですね、無礼講という言葉がありますね、あれはきちんとした一次会があってはじめて成り立つ言葉なんですよね。だけど今は世の中全部が二次会、つまり無礼講だらけになっちゃった(笑)これはいきとはほど遠いですね」
川畑 「なるほど。一次会でもきちんと遊べる余裕、これがいきの極致かもしれませんね。そういう意味ではいきに達するにはある程度の年齢も必要ということでしょうね」
万之丞 「そうだと思いますね」
川畑 「そういう意味ではお父様の野村万蔵先生なんて、ほんといきな方ですよね」
万之丞 「もういきすぎて(笑)」
川畑 「もう雲の上ぐらいいきな人っていう感じかな。私ももっと年齢を重ねてそうありたいって思いますけど」
万之丞 「それからいきの上にはですね、やっぱり僕、品っていうのがあると思います。いきだった人が六十を過ぎてきた時に、何がその人の背骨を支えてるかっていうと、やっぱり最後は品だと思いますね。で、うまく枯れて。でも表は枯れてるんだけど、中の芯だけはキチッとしてる、これが理想ですね」
川畑 「ほんとにそうですね、いきから品へ。いやー今日は楽しいお話をありがとうございました。じゃあ、そろそろこの辺で一次会はやめて、無礼講といきますか(笑)」
万之丞 「(笑)いいですね、いきましょう」