ごらくはらくご

古今亭文菊師匠のこと

2月に観山寄席にお招きする
文菊師匠ですが、今日YouTube
でお話を聞いて、大きな感銘を受けました。

いろいろ響いたことは多かったんですが、
一番は、「奥さんのことを、第二の師匠と
呼んでる」ところです。
どういうことか、少し長くなりますが、
ご紹介しますね。
小学校の頃から、自分は取り柄がない、
何で生きていけるんだろうと自問自答し、
存在価値をずっと探り続けた。
学習院大学在学中には劇団に入り
何者かになろうとしたがそれもダメ。
ふと、高校の時に見た、古今亭園菊師匠の
落語を思い出し、寄席に通うようになり
「噺家で生きていきたい」と考え、
円菊師匠に入門。
しかしこの師が厳しかった。
僕もだいぶこの手の話は噺家さんから聞いて
きたが、想像以上だった。
簡単にいうと、「存在そのものを否定される」クラス。
二つ目になって自由になれると思ったら、
園菊師匠のお身体がだいぶ悪くなったので
お世話をすることに。
手を差し伸べると「触るな。俺を転ばせようと
してるのか」と怒鳴られる始末。
けれど理不尽に耐えることにより、風に柳と柔らかな
心根が出来たのか、元来の才なのか、
入門10年目という異例の速さ、28人抜きで
真打へ。
その後、頭角を現し、ありとあらゆる賞を総なめ。
とここまではネットで調べればわかる話。
僕が驚いたのは、文菊師匠の「真打興行の途中で
師匠は亡くなった。そしてまるで入れ替わるように
第二の師匠に出合った。まぁ、一般的には奥さんの
ことなんですけどね」というセリフ。
奥さんに会うまでは、師匠、芸人として結婚の
理想像があった。
男を立て、家のことをこなし、弟子たちを上手に
まとめる女将さん。
その代わり師匠は、芸を磨きお金を稼ぐ。
けれど奥さんは違った。
「あなたのその考えをすべてそぎ落としなさい」、
「ゼロにしなさい」と言われたという。
師匠はいったんは受け入れたものの、やはり
これは無理だ、
「俺の生き方をなぜ変えなければいけないのか」と
判断し、家を離れた。
でもしばらくして、やはり彼女の言ってることは
正しいと思いなおし、土下座をして許しを請うた。
以来、奥さんのことを、師匠と呼ぶようになった。
冗談ではなく、本気でだ。
仕事柄、噺家さんとはずいぶん会ってきたけど、
こんな方は初めて。
ここまでストイックに自分を見られる、
相対する妻の意見を、真摯に受け止められる
なんて。
芸は人なり。
師匠の噺を聞きながら、僕はこの言葉を
何度も思い浮かべた。
そんな文菊師匠をお呼びするのは、
2月9日(木) 小倉・観山荘別館です。
福岡はおかげさまで完売なので
ぜひ小倉へおいでください。

高坂圭

放送作家・脚本家・物語プランナー。主な作品、映画「千年火」「卒業写真」
ブログ:「圭さん日記