今回ご出演いただく立川生志師のご本、「ひとりブタ 談志と生きた25年」がとても素敵なので、このエッセイでご紹介したいと思います。
師匠曰く、この本は、「二十年間真打になれなかった僕と僕を真打にしなかった談志と、その後、談志の最晩年五年間の懐かしくも抱腹絶倒の赤裸々な落語修業ドキュメント」です。
何度読んでも、ときには師匠談志さんの評価に悩み苦しみもがく生志師の葛藤に心が痛くなり、それでも愛さずにはいれられない師匠への想い、そして心の底からの尊敬に胸が熱くなります。
なかでも僕が好きなのは、「談志の業を肯定せよ」という章です。
厳しい修業のシーンを率直な筆で書かれたあと、師匠はこう綴っています。少し長い引用ですが、素晴らしい文章なのでどうぞ読んでみてください。
そんな修業を経て、僕たちは図太くなった。たくましいなんて言う健康的な表現ではない、行儀というストイックな規律と同時に、ルール無用の野戦向きのチカラが備わる。人間の表と裏と両面を同時に見つめる眼力が育つ。飼い犬のふりをした野良犬になる。
僕の場合は、家畜で群れる豚ではなく、たった一匹のブタ。とびきり図太いひとりブタ。
この無頼の獣が着物姿で、風(扇)と曼荼羅(手拭)を持って高座に上がると、綺麗な花はより美しく、悪の華はより艶やかに、深い淵から人間の業が覗き、与太郎は思い切り世の中を舐め切り、八五郎は無鉄砲を極め、因業大家はより吝嗇になり、人情噺はより情熱的に、滑稽話はより痛快に演じられるよう修業している。師匠立川談志のように。
師匠立川談志。お客様には天才、家族に良い父親でも、それだけでは収まりきれない人間の本性を弟子は否応なく見せつけられていた。
そういう不条理なところも含めて芸人立川談志がいて、その弱い人間があの最高の高座を創造する。そこに惚れるのだ。
人間性を敬愛するなんて浅い愛情のような気がする。芸に惚れるなんて浅い感傷のような気がする。
談志を愛するとは談志の毒を飲みほし、談志の芸と恋をすることだ。
立川談志は、立川談志の落語そのものだから。
ねぇ、スゴイ文章でしょ。これほどまでに熱烈な恋文を書ける生志師も書かせる談志さんもスゴイなぁと思い、僕は感動しました。
真打の口上書きに、「生志、”かけ昇れ””聞かせてこい””笑わせてやれ”人生を語ってこいよ。俺がついてらあ」という言葉を談志さんからもらった生志師はいま、名人への道をひたすらかけ昇っています。どうぞ2月の3日、4日は生志落語をたっぷりとご堪能ください。
高坂圭
放送作家・脚本家・物語プランナー。主な作品、映画「千年火」「卒業写真」
ブログ:「圭さん日記」