桂文治師匠にインタビュー!
第一号の趣人で、観山寄席にお招きする桂文治師匠にインタビューさせていただきました。
その記事を再録します。
Q 落語を好きになったのは
小学生の時に観た、ドリフターズの人形劇「飛べ!孫悟空」のきっかけです。
そこにゲストで三遊亭小円遊師匠や桂歌丸師匠が出てたんですが、三遊亭や、歌丸って名前が珍しいなぁと思ったのが最初のきっかけで、そういう人たちが
テレビ欄をみると出てますよね、なんだろうと思ってみたら、それが落語のうようなものであり、落語家というものでありと知ったんです。
それが小学校4年ぐらいだったんですが、最初聞いたときから面白いなーと思って、一番最初に覚えたのが小南師匠の「転失記」というやつでした。
小南師匠はわかりやすいように、学校寄席という、子どもたちに落語を聞かせる走りの師匠ですね。ですから子供にもよくわかって、おならですからね、こどもが一番食いつくやつですよね。
で、覚えて親戚の前なんかでやったりしてね。
それから中学いって、そこが租税教育の指定校でいろんなゲストが話に来るわけです。そのゲストにお礼にということで、大分ですから吉四六の演劇を先輩がやったりして、で、国語の先生が「お前、落語できんだよな」っていって、
その先生も落語が好きでかみしもはこうやるんだととか、ある程度教えてくれて小三治師匠の「初天神」をやりました。ウケましたね。
Q 中学を卒業して文治師匠に入門されようとするんですよね
あれも不思議な縁でして。大分合同新聞が昔、寄席やってたんです。本牧亭が間に入って大分を五カ所とか旅に周るというよな。で、ちょうどうちの師匠が
田舎(宇佐)に来たんですよ。
それでまぁ、あの中学卒業してちょうどなんてでしょう、春休みが長い時期ありますよね、半端な。そんときにあのうちの師匠のとこへ、楽屋の前でモジモジしてたら、お医者さんの娘さんで教育委員会かなんかにいらっしゃったんですけど、その人が「なにやってる?」っていうので、「いや、文治師匠に会いたいんですが」。その頃伸治だったんですかね、「会いたいんですか」っていうと、
「じゃあ私が」といってくれて、師匠に「この子がね、師匠の弟子になりたいってそういってるみたいですよ」なんて。
そしたら「まぁ今はこういう世の中だから、高校ぐらい出ないと辞めたときに
困るから」ということで高校へ。
Q 先代の文治師匠はどんな人?
落語を地でいくような師匠でしたね(笑)。変わりもんといえば変わりもんですが、優しいといえば優しいというようなね。
思ったことをそのままいっちゃう、だから自分の弟子だけではなく他のお弟子さんにも小言いってましたね。
あとでいうというようなことがまぁ出来ない師匠というかね、その場でいっちゃうような師匠でしたね。
電車の中でもルール違反なんかには厳しかったですね。
それで揉めるようになこともありましたね。
Q 修業時代は厳しかったですか
まぁ、内弟子というようなことでしたからね、うちの師匠のところに5年いたんですね。で、高校卒業してすぐに。そのときに内弟子制度っていうのはもう珍しかったですね。園歌師匠とうちぐらいだったですね、東京では。
大阪では文我兄さん、あったみたいですけどね。
僕は、よく怒られましたね。僕のすぐ下に、うだんじって女の弟子が入ってきて、うだんじは師匠にすごく忠実で「稽古お願いします」なんつって、まぁ僕らも最初はそうだったんですが2年ぐらい経つと、お互いいい所と悪い所がわかってきて、みんな兄弟子もね、兄弟弟子集まって話すと、「うちの師匠はねー」
なんつって悪口いったりね(笑)。
お前はね、聞かないうちになんでもやっちゃう「ほんと、宮戸川のおじさんといっしょなんだよ、飲み込みのがた治だよ」って。
高尾山へ師匠と豆まきに行ったときもそうでした。師匠の荷物と僕の荷物でいっぱいいっぱいだったので、帰りにたくさんい頂くお土産をお囃子さんにあげちゃったんですよ。
「これ重いからお囃子さん持って帰ってよ」って(笑)。
そしたら師匠が「お前、あれどうした?」
「あげちゃいました」
「バカヤロー、あれお前、豆大好きなんだ」って怒られました(笑)。
Q 文治をついでどうですか
ちょうど1年ですが、1年たってまだね、「桂文治です」なんて挨拶しても。
あれ、文治でいいのかな、と躊躇しますね。平治が長かったんで。まぁ文治というのはね、師匠の名前だというような頭がありますんで。
1年経って徐々にというような感じですね。
Q 落語の魅力とは
うーん、まあね、聞いてて楽しいという、それがまず一番ですね。
想像して笑えるというね、で、我々も笑ってもらえたら嬉しいもんですからね。
あんまり落語悪い人は出てこないんですよね。人情噺や怪談噺は別ですが、
悪い人は出てこないで、与太郎だって必ず輪の中に入ってますよね。
仲間外れにしないで、町内の悪い人でも嫌な人でも輪の中にいるじゃないですか。一応声かけて、「嫌いなんだよ」という(笑)、だったら声かけなきゃいいじゃないかと思うんですが、輪の中にいるんで、与太郎もね、「与太、お前どうだ」「私も行く」なんて。
みんな個性的でね、若旦那、知ったかぶりは知ったかぶり、よく出来てますね、落語って。誰が作ったんだか(笑)。ほんとにいいなぁ、これをここに持ってくるんだ、仕込みがあってね、それで笑わせる後半があって、ほんとによく出来てるなと。
Q 落語の楽しみ方は
あー、そうですね。まずね、寄席や落語会に来てもらって様子を見てもらって。
最初はね、歌舞伎とおんなじでわかんないかもしれませんよね、歌舞伎だった何回も通わないと言葉もわからない、筋もわからない。歌舞伎の場合はイヤホンガイドがありますがね、寄席の場合はないんで。
キセルってったってね、若い子は知らないでしょうから。まず観てもらって一回だけじゃなく二、三回来てもらえば、そうすると3Dみたいに、なんていうんでしょう、長屋の風景とかいろんな人物がね、こう浮き出てきますよって。
まず来ていただきたいということですね。食わず嫌いにならずね。
寄席っていうとね、おじいちゃんおばあちゃんが楽しむもんだという、前は囲碁や将棋もそうでしたよね、今若い人が出てきてね、女性のきしゅも出てきて
若い人にも広がりましたよね。
観てもらってるうちに自分の好みが出てくるんですよね。
この人ちょっと合わないなとか、この人追っかけてみようかなとか。
Q これから挑戦したいことは
そうですねー。うーん、まぁ、毎日落語が出来て、夢はそうですね、遊びながら出来たらいいですね。毎日喋ったほうがいいんですよ、毎日喋らないと舌も回らなくなったり、声もね、あれこんなに出なかったとかね。
寄席は好きですから、お声が毎回かかるように、うちの師匠もそうでしたし、
寄席で喋って、独演会やいろんな会で喋っていきたいですね。
最近は小さい会をずいぶん今始めたんですよね。
今はもう落語は、東京近辺で寄席以外に700軒とか800軒とかひと月にやってんですよ。
ねぇ、だから寄席に来ないわけですよ(笑)。
寄席は15分刻みでトリは観たいんだけど、トリの前は観たくない人が出てくるっていうんですよ。
それが嫌で、独演会行くと最低2席はありますよね。じっくり聞けしそっちの方がいいやって。
で、僕年取るとお客さんも年取ちゃって。お客さんというのは僕より年上ですからね、で葉書出しても「すいません、ちょっと夜はあの足が悪くって」とい
う人が増えましたんで、小さい会をやってもうちょっと若いお客さんを増やして、たくさん入る会に呼びたいと思って、毎月30~50人とかの会をやってるんですよ。
昔やってやらなくなったようなものを、またさらい直して、お客さんに聞いてもらおうという、そういう会を今増やしてまして。
で、自分のための落語家ってんですかね。
それは落語だけではなくお客さんが一番聞きたい、この噺は誰に教わって、
そのときにこういうことを言われてね、僕は今それを守ってる、あるいは
僕はこう思うんでこうしてやってるとか、解説をつけてるんですよ。
落語を素人でやってる人も客席にいるんで、こういう軽い噺ほど難しいんですよ、前座がやるというようネタが一番難しい、無駄が入っちゃいけないんですよって。ひとつ、えーでも入ったり、あのが入ると、笑いが半減するんだから。
だから無駄が入っちゃいけない。それを前座のうちに体に会得するもんで、
余計なことが入ると上手そうには聞こえるんですが、笑いが少なくなっちゃう。
それはうちの師匠がよく言ってた言葉ですがね。
子ほめ、いしほめ?道灌で笑わせられたら最高ですよねー。
噺っていうのは口辺に新しいと書いて、今日はあそこが違った、今日はここが
違ったってお客さんもなんか聞いても楽しいですよ、っていってくれるように。