12月のご挨拶
12月―やはり小走りでやってきました。
ある日、あの時、あの人の一言が私の胸にドーンときました。
ご主人と最後のお別れをされ、しばらく棺にうなだれておられました。
ご主人と共にというお心からでしょう、棺に手をのせ杖をつき、
皆さんにお礼の挨拶をなさいました。
それから静かな間がありました。
そして奥様が「1つだけ言っておきたいことがあります」と、力を込めて話されました。
「主人の60代はウソのかたまりでした。70代からは一切ウソのない人生・生活でした。
私は“○○子”と言いますが、主人は、ずうっと“△ちゃんー”と呼んで過ごしてきました。88歳で眠りにつくその日までー」と。
私は思いました。毎日毎日“愛しているヨ”と言わずとも、
この呼び声の中に、安心しきった、そして尊敬・信頼しきった母に対するような、
妻・友人また恋人に対するようなたくさんの気持ちが充分に含まれているのでしょう。
私の周りにも80代の男性が自分の妻に「うちのかあちゃん」とか「○○はん」と呼んでいるのをよく耳にします。
“好きだよ、愛しているよ”なんてとても声に出して言いませんがー。
この愛称には、自分の良い所・悪い所その全てを丸く納めて(包み込んで)くれる母親の様に思い考え、頼っている大切な存在であることを常に心に秘めて呼んでいるであろう事を私は勝手に感じています。
50年以上連れ添った夫婦となると、夫にとって妻には母親に対する気持ちと同じ事を望み、許して接してくれる人(存在)であるのかもしれませんね。
歳を重ねていろいろ経験したことで、少しではありますが、判ってきた
ー大人になれたーのかと我が家に戻ってしみじみ考えこみました。
主人を大切に優しく接したいと改めて考え、努めるつもりです。
しかしながらー
我がままで、自分の都合の悪いことは屁理屈を言うし、改めない大人を相手に、
頭では判っていても心(気持ち)で腹を立てています。
私はまだまだできた人間ではありませんネ。
これからもどうぞよろしく!
by 女将 清子より