本年も大変ありがとうございました2016年12月28日

今年もあと数日で終わろうとしております。

幸いに、弊社では大きな事、小さな事も無く、

毎日平凡ではありますが、一生懸命に働き、

お客様に喜んで頂く事に努め、毎日が充実していたように感じます。

本当に世の中は一刻一刻変化を続けております。

考え込んでしまえば前に進めません。

目の前にいらっしゃるお客様に安心して喜んでいただく事のみ

心掛けて頑張り積み重ねてきた様に思い出されます。

1年間皆様にご愛顧を賜り、一同感謝致しております。

ありがとうございました。

来年もどうぞお引き立てくださいます様

お願い申し上げます。

 重ねて心から御礼を申し上げます。

誠にありがとうございました。

来年皆様の笑顔を拝見できることを楽しみにしております。

 

by 女将 清子より

12月のご挨拶2016年12月10日

 

 12月―やはり小走りでやってきました。

ある日、あの時、あの人の一言が私の胸にドーンときました。

ご主人と最後のお別れをされ、しばらく棺にうなだれておられました。

ご主人と共にというお心からでしょう、棺に手をのせ杖をつき、

皆さんにお礼の挨拶をなさいました。

それから静かな間がありました。

そして奥様が「1つだけ言っておきたいことがあります」と、力を込めて話されました。

「主人の60代はウソのかたまりでした。70代からは一切ウソのない人生・生活でした。

私は“○○子”と言いますが、主人は、ずうっと“△ちゃんー”と呼んで過ごしてきました。88歳で眠りにつくその日までー」と。

私は思いました。毎日毎日“愛しているヨ”と言わずとも、

この呼び声の中に、安心しきった、そして尊敬・信頼しきった母に対するような、

妻・友人また恋人に対するようなたくさんの気持ちが充分に含まれているのでしょう。

私の周りにも80代の男性が自分の妻に「うちのかあちゃん」とか「○○はん」と呼んでいるのをよく耳にします。

“好きだよ、愛しているよ”なんてとても声に出して言いませんがー。

この愛称には、自分の良い所・悪い所その全てを丸く納めて(包み込んで)くれる母親の様に思い考え、頼っている大切な存在であることを常に心に秘めて呼んでいるであろう事を私は勝手に感じています。

50年以上連れ添った夫婦となると、夫にとって妻には母親に対する気持ちと同じ事を望み、許して接してくれる人(存在)であるのかもしれませんね。

歳を重ねていろいろ経験したことで、少しではありますが、判ってきた

ー大人になれたーのかと我が家に戻ってしみじみ考えこみました。

主人を大切に優しく接したいと改めて考え、努めるつもりです。

しかしながらー

我がままで、自分の都合の悪いことは屁理屈を言うし、改めない大人を相手に、

頭では判っていても心(気持ち)で腹を立てています。

私はまだまだできた人間ではありませんネ。

これからもどうぞよろしく!

by 女将 清子より

    mutti