瀧川鯉昇師匠にインタビュー
10月6日にお越しいただく瀧川鯉昇師匠に、インタビューした
ときの記事が出てきたので、ご紹介しますね。
少し長いですが、師匠のお人柄がよーくわかるので、ぜひお読みください。
Q 落語を好きになったのは
小学生の頃、おじいちゃんが聞いていたラジオの演芸番組がきっかけですね。
おじいさん盲人だったんですよ。だからラジオの演芸番組に私がチューニングするんです。
父親が朝新聞に赤鉛筆で〇つけてくんです、今日はこことこの番組。あの頃演芸番組は15分から30分で週に十本ぐらいありましたからね。
私はそれを見ながら、おじいさんの横で次から次にラジオをチューニングするんです。落語、浪花節、講談、漫才、いろいろ聞きましたね。
だからもう学校とそれしかないから、将来なんになるんだといわれても、ずーと学校にいる、将来小学生といえないから(笑)、じゃあ浪花節語りって。
Q 落語家か役者さんになりたかったとお聞きしましたが
だからまともなことなんて考えてないんですよね(笑)。
就職とかそういうの、結局最後まで考えなかったですもんね。
就職試験も一度受けてみようとかないですから。
ただ学生時代、教職の授業は取りました。
目がいいから単位、全部取れました(笑)。
学業は目です。全部、目です。
隣の答案が見られればなんとかなるんですよね(笑)。
Q どうやって落語家になれたんですか
先代の小柳枝師匠に弟子入りしようと楽屋に行ったら、「飲み屋にいる」といわれたんで、行ってみると、へべれけになってお客と喧嘩してたんです。
それを「まぁまぁ」と仲裁して、じゃあちょっと気分直しにということで一緒に二、三軒飲み歩き、最後に師匠の家に行って、酔っぱらったまま泊まちゃったんです。
始発までこっちも帰れないから。で、台所で寝てたら翌朝、目を覚ました師匠が「誰だおめえは!?」っていうから、「弟子にしてください」っていって、この世界に入りました(笑)。
弟子になったのが二十歳、楽屋入りしたのが二十二、師匠が廃業したのが二十三の時でした(笑)。その後は春風亭柳昇の弟子になりました。
Q 修業時代はどうでしたか?
とにかくお金がなかったので、たんぽぽなんか食べてましたね。
たんぽぽには洋たんぽぽと日本たんぽぽがあるんですが、日本たんぽぽは苦みがない。とくに皇居の横のとこにいいたんぽぽがあるんですよ。
お金がなくなると野菜代わりにして塩茹でおしたしにして、ガスが止められちゃうと塩もみにして、塩も買えないとちょっと息とめておくと汗が出るから、
それで(笑)。なんて話をしてたらラジオ番組に出て欲しいという依頼があったんですよ。
農協が提供で朝6時ごろの番組、FM東京の「自然食なんとか」っいう。で、臨場感を出したいんでスタジオじゃなく、皇居で録りたいっていうんですよ。
僕初めてのラジオですから、「台本は?」「当日渡しますから」「ああ、そうですか、でも覚えられない」「いやそんなに難しくないですから」ってことで、当日です。
6時からの生放送、半蔵門のところで、アナウンサーの人が自然食の話をずーとして、で、「今日お招きしたお客様、大変に、えー目に映るそんなところの自然を愛しながらそれを食し、栄養にしながら活躍をなさっている落語家さんです。えー春風亭柳若さんです。それではひとこと」
「えー、たんぽぽはうまい!」(笑)「ありがとうございました」。それで終わり。
五千円で源泉引かれて4500円送ってきました。
それが初めてのマスコミの仕事でした。
Q 落語の魅力とは
頭と体が休めることですね。
休憩から熟睡までというか(笑)、こんないい噺を聞いたんでぜひ人を誘ってという人もいますけど、でも僕はあのよく寝たっていう、ほんとに体が休まっちゃうほうがいいと思うんですよね。
落語は、ほんと副作用のない睡眠剤ですよ(笑)。
うちの柳昇がいうには、飯と味噌汁のようなものでいいっていってましたね。
なんの変化もないんだけど飽きない。昨日肉食ったから今日いいやという人はいるけど、昨日飯食ったから今日一日いらない、って人はいないじゃないですか。だから落語ってそういうもん、あれば聴くし、なければ別に追っかけることもないっていってましたね。
……ね、素敵でしょ。いい意味で力の抜けた軽みが師匠の
魅力なんですよね。
10月6日、ぜひ鯉昇落語で笑ってください。
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