「喝采」についての考察
♪ いつものようぉ~にまくぅーがあーき
といつものように今回もあまり料亭とは関係無い内容のブログとなりそうですが皆様いかがお過ごしでしょうか。
さて、先日お弁当の配達に行っている最中にカーラジオからちあきなおみの「喝采」が流れてきました。
この曲は僕の幼少期に大ヒットしてレコード大賞まで獲った曲なんですが、昔のヒット曲っていうのは現在と違って非常に寿命が長いというか結構数年間いろんなところで耳にしていたような記憶があります。
ですからラジオから流れてきたときも普通に歌えたんですね(笑)
ただ僕は昔から(今でも)曲を聴く時はメロディーとか編曲を重視して聴く傾向が強く、唄(ボーカル)に関してもアレンジの一部という感じでしか聴いていないから完全にひらがなの「音」としか捉えておらずメロディーに乗っかった言葉の響きだけが重要なので歌詞の意味なんて殆ど考える事はありません(一部例外を除く)
だからたまにカラオケで歌いながら泣いてる人見ると
何で泣いているんだww
くらいにしか思えないんですね。
僕は本当に歌える曲でも歌詞の意味を理解していないというか理解しようともしてない曲がざらにあるんです。。。
しかし今回曲に合わせて口ずさんでいるとハッとする瞬間が訪れました
私に届いた手紙は黒い縁取りがありました
この曲そんな内容の歌だったの?!
そこから一気に最後まで曲の世界観に引きずり込まれます。
さすがドラマチック歌謡。
今まで記号的に捉えていたひらがなの羅列が初めて意味を持って自分の中に入ってきた不思議な感覚。
まあ調べてみたら「喝采」がリリースされたのは1972年なので当時僕は3歳。
三輪車に跨っているような子供が黒い縁取りの手紙の意味など分かるハズもない(笑)
それともう一節気になる箇所があって
動き始めた汽車に ひとり飛び乗った
汽車?
さっきも言ったようにこの曲は1972年の曲です、歌詞にもあるように
あれは三年前
ということは1969年に汽車に飛び乗ってます。
1969年は僕の生まれた年なので当時のことは全く記憶に無いのですが(笑)多分もうその頃には汽車はほとんど走ってなかったのではないかと思いちょっと調べてみました。
するとこの曲を作詞した吉田旺(おう)氏は福岡県若松市(現北九州市若松区)の出身らしく吉田氏は自身が小倉駅から上京した時のことをイメージしてこの曲を作ったそうです。
吉田氏が上京した当時まだ九州の国鉄は汽車だったのかどうかは分かりませんが吉田氏が北九州出身ということで非常に納得しました。
だって僕が20代前半まで北九州では西鉄の路面電車のことを「電車」、JR(旧国鉄)のことを「汽車」っていう風に使い分けてましたから。
これは北九州に限ったことではなく路面電車が走っている(走っていた)街では大体そういうことになっているらしいです。
今回改めてこの曲に関して調べてみると非常にエピソードも多くまだまだ興味は尽きないのですがやはり圧巻はちあきなおみさんの表現力の凄さでしょうね。
類稀なる才能のヴォーカリストだということを再認識いたしました。
ちあきさんでなければこれほどヒットはしなかったでしょうね。
だって総じて内容暗いし(笑)
この曲が多くの人を魅了した1972年って一体どんな年だったんだ。。。